創立者:島地黙雷
明治初期に海外の宗教事情を視察し、政教分離を主張。
明治21年(1888)、仏教に基づく女子教育をいち早く実践した開明的僧侶。
明治初期に海外の宗教事情を視察し、政教分離を主張。
明治21年(1888)、仏教に基づく女子教育をいち早く実践した開明的僧侶。
本願寺派の学僧。院号は離言院。周防国(現在の山口県東部)生まれ。妙誓寺(山口県徳地町)、のち願教寺(岩手県盛岡市)住職。原口針水に師事。
慶応4年(1868)、赤松連城、大洲鉄然らとともに本山改革の建議書を提出し、明治初年の本願寺行政改革に携わった。明治5年(1872)から欧州等へ赴き、海外の宗教事情を視察して、信教の自由、政教分離を主張し、渡航先から三条教則を批判する建白書を明治政府に送った。翌年帰国すると真宗各派の大教院分離に尽力し、明治8年(1875)にこれを実現した。
本願寺執行などを歴任。白蓮講社や女子文芸学舎(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)を創立するなどして教化・教育にも尽くした。明治27年(1894)勧学。著書に『問対略記』『信因称報義』『真宗大意』などがある。
『浄土真宗辞典』(本願寺出版社刊)より